例に挙げるのは、過去の添削指導例です。
記述を提出してくれたのAさんは、ヨーロッパ在住の小学5年生女子でした。
◆課題「社会から無くなったら困るものの例を1つあげ、その理由とともに説明しなさい。」
わたしは木がなくなったら困ると思います。
もし、木がなくなったとしたら動物はすめなくなって、ぶた肉を食べれなくなったり牛の牛乳を飲めなくなってしまったりととても因ります。
また、木は二酸化炭素を吸って酸素を出しています。でも人間は木とは逆で酸素を吸って二酸化炭素を出しているので木がないと、酸素を吸えなくなってしまい生きていくことができなくなってしまうのです。
なので、わたしは木がないと因まると思います。
Aさん、エッセイの提出をありがとうございます。
さっそくですが、Aさんの書いたエッセイについて、気が付いた点をお話しましょう。
1.表記上のミスについて
①冒頭の書き出しは1字下げる・・・字数指定の場合は一字下げる必要はとくにありませんが、Aさんの文章では、他の段落が一字下げていますので、統一したほうがよいでしょう。
②漢字のミス・・・困る という字が3回使われていますが、2・3回目の文字が「困」ではなく「因」という字になっています。また、3回目の表記が「因まる」と送り仮名も間違えています。
③句読点について・・・通常の原稿用紙の使い方では、行の最後が句読点になった場合には、文字と句読点は同じマスに書くことになっていますので、「・・・酸素をだしています。」の句点(「。」)は問題ありません。しかし、最後の「・・・思います。」の句点は、文字と同じマスに書くのはまちがっています。
また、字数指定がある場合には、句読点も1文字と数えますので、必ず1マス使って表記しましょう。
④「・・・食べれなくなる」・・・いわゆる「ら抜き言葉」で、誤りです。正しくは、「食べられなくなる」ですね。
※「ら抜き言葉について」
「食べれる」以外にもよく間違えてしまうのが、「見れる」「来れる」「考えれる」「寝れる」「起きれる」などがあります。もちろんこれは、「見られる」「来られる」「考えられる」「寝られる」「起きられる」が正しい用法です。しかし、日常会話ではついつい使ってしまいますね。」
「今夜は早く寝ないと、明日起きれないのに、まだ寝れないよ」
⑤「牛の牛乳」・・・意味が重なってしまいます。「牛のミルク」「牛乳」としましょう。
※「重言(じゅうげん・じゅうごん)」
「二重表現」ともいいます。
「過半数を超える」・・・半数を超えるのが「過半数」ですね。「過半数に達する」がよいでしょう。
「まず初めに」・・・「まず」と「初めに」が同じ意味です。
「あとで後悔する」・・・「後で後悔する」と漢字で書けばおかしいことはわかります。
「犯罪を犯す」・・・「罪を犯す」が正しいですね。
このあたりはわかりやすい「重言」だと思います。
「歌を歌う」はどうでしょうか。普通に使っていますよね。違和感も感じません。文法的な説明は省きますが、これは問題がありません。
「頭痛が痛い」はどうでしょうか。「頭が痛い」が正しいのですが、「頭痛が痛い」でも間違いとはされません。強調するために意図的に用いているからです。
「牛の牛乳」については、強調する表現ではありませんので、気を付けましょう。
⑥「木」について・・・一般に、「木」と表記するのは、一本の「木」をイメージする場合が多いですね。したがって、この文章では、「森林」と表記するほうがよいでしょう。ところで、森と林の区別には特にきまりはないようです。人の手が加わっているのが「林」で、自然のままの状態が「森」という定義もあるようですが、そんなに厳密なものではありません。
2.内容について
Aさんの文章構成を整理してみると、以下のとおりとなります。
◆なくなったら困る物=「木」
◆問題点の具体例・・・動物が住めなくなる
→ぶた肉を食べられなくなる
牛乳を飲めなくなる
◆問題点の具体例その2・・・人間が酸素を吸えなくなる
根拠・・・木の光合成
◆結論・・・木が無いと困る
木がなくなると困るという結論の根拠として、
・豚肉が食べられなくなる/牛乳が飲めなくなる
・酸素がなくなって(人が)生きていけなくなる
という二つの問題点をあげています。
最初の根拠の豚肉と牛乳に関してですが、家畜の豚と牛は、そのまま森林に生息しているわけではありません。森林が失われると、多様な生物種が失われる、という流れなら理解できますが、牧場や畜舎で人工的に飼育されている牛・豚と、森林の喪失を同一に論ずるのは無理があります。
二つ目の、森林が無くなることと酸素が無くなることの関連ですが、ここにもすこし無理があります。一般に、森林の減少は二酸化炭素増大の原因として扱われることが多く、酸素の減少と結び付けることはあまりありません。二酸化炭素の増大の影響のほうが、地球温暖化や異常気象に与える影響が大きく、すでに大きな問題となっているからです。ただし、その二酸化炭素増大に関しても、森林以外にも海洋も二酸化炭素を吸収しています。
やはり二酸化炭素増大の「主犯」は、化石燃料を使う事なのですね。
また、「木=自然」という大きなテーマを扱っているものの、結局のところ困るのが「人間」だけのような印象を与えてしまうのは残念です。
これらを考え、以下のように修正・整理するとよいでしょう。
●森林が無くなると問題だ
・森林は、多様な生物の住処となっている
・森林は、水の循環(雨が森林から川へ、海へ、そしてまだ水蒸気として雲へ、という大きな流れ。これによって地球は豊かな生物を育んでいる)に大きな影響を及ぼしている
・森林に降った雨が少しずつ川に流れ込むことで川の氾濫を防ぎ、また海の魚介類に豊富な栄養を提供している
・森林の減少により、二酸化炭素の増大が心配される。
●したがって、人間のみならず、地球全体の生物にとっても森林は大切だ。
3.テーマの選び方
今回の記述テーマは、「もしも〇〇が無かったら?」というものでした。このような漠然とした課題ですと、何を書いていいものかとても迷いますね。そうした場合は、地球全体にかかわるような大きなテーマよりも、自分にとって身近なテーマのほうが書きやすいものです。Aさんが書いた「森林」といった大きなテーマよりも、「紙」「書籍」「自動車」「コンビニ・スーパーマーケット」「冷蔵庫」といった、私たちが当たり前のように利用しているものの例をあげ、もしそれらが無かったら社会にどんな影響があるのかを考えるほうが、書きやすく、また読みやすいものになったと思います。
例えば、冷蔵庫の存在しなかった江戸時代には、今のようにいつでもどこでも新鮮な魚介類を食べることはできず、いわゆる「江戸前=江戸の前の海」で獲れたばかりの魚を、魚屋が早朝走って届けられる範囲の家や料理屋にだけ届けていたそうです。塩漬けにしたり干物にしたりと、保存の工夫をした魚介類だけが一般に食べられるものでした。こうして、身近なものについて考えてみるのもおもしろいですね。
※コツ
帰国生に求められるのは、海外と日本の両方の社会の「体験」です。
したがって、記述のテーマとしても、海外における経験について書かせるものがとても多いのです。
今回の記述に関しても、「日本では当たり前に身近に存在したのに、海外には無くて困った」ものや、「海外ではあったのに、日本に帰国したらなくて不自由した」ような物について書くと、より「学校の出題意図」に沿った内容になるでしょう。
また、「物」以外にも発想を展開することもできますね。
行事や習慣、言葉、場所、いろいろなテーマが思いつくことでしょう。
記述のテーマとしては、社会でかかえる問題について考えさせたり、疑問を持つ姿勢を求めたりするものがとても多く出されています。日々の生活の中でも、「なぜこうなっているんだろう?」「もし○○が△△だったら?」と、身の回りの様々な出来事の原因や理由を考えることで、理解も深まり、思考力も育っていきます。
Aさんも、日本とヨーロッパという、異なる二つの文化・社会を体験することで、多くの「なぜ?」「なに?」に出会える機会に恵まれています。この機会を活かし、ぜひlogical thinkingやcritical thinkingを磨いてみてください。
私立中の帰国生入試を受験予定のBさんのお母様から、面接時に行われる日本語による2分間スピーチの原稿の添削を依頼されました。誤字脱字文法等のチェックはお母様が既にされたということでしたが、1点だけ、「たり」の用法について指摘いたしました。
◆課題「生活していた国や地域と日本との違い」
僕は小学二年生から昨年の夏まで四年間、アメリカの〇〇州に住んでいました。日本との違いはたくさんありますが、やはり一番驚いたのは学校の制度の違いです。現地校に入学したばかりのころ、時間割がないことに戸惑いました。なぜなら、いつ授業が始まりいつ終わるのか、次は何の授業なのか分からなかったからです。日本ではありえないことだ、と最初は不便に感じていましたが、よく考えてみると、実はとても合理的なことに気づきました。先生は教科ごとの進み具合を考え、遅れている教科の時間を眺めにするなど、いろいろ調節できます。イベントが近いと、体育や楽器演奏の授業が毎日あったりしました。
また僕の学校では、人によって特別授業を受けに行く人もいて、個人個人の能力に合わせた時間割がある、というところにも驚きました。例えば僕は最初英語が話せなかったのでESLという英語が母国語でない生徒が受ける授業を毎日1時間受けていました。そのおかげで2年でESLを抜けることができました。さらに特別なテストに合格した人だけが受けられるPEPという授業もあり、専門の先生が来てくれて様々な分野を学び体験できます。僕はこのテストに合格し、週2回の授業が大好きでいつもとても待ち遠しかったです。このような個人に合った時間割のシステムはとても良い所だと思います。
すっかり自由なアメリカの学校に慣れたので日本の学校に戻るのに少し不安もありましたが、今度は日本の学校の良いところもたくさん発見したいと思います。
Bさんへ(生徒本人へ)
1.「たり」の用法について
文章全体はよく書けています。誤字脱字もありませんし、構成も問題はありません。
ただし、「たり」の誤用がありましたので、そこだけ指摘いたします。
「たり」・・・並列・列挙
A:「休日には本を読んだり映画を見たりする」
B:「休日には本を読み映画を見たりする」
C:「休日には本を読んだり映画を見る」
もちろん正しいのはAで、BとCは誤りです。
「たりは2つの動作を並べるときに使う」と覚えておくとよいでしょう。
しかし、実際には、「たり」が1回しか使われていない表現がたくさん見られます。
・文章が冗長になるのを避けるため
・「例示」で使う場合
これらが理由です。
前者については、気持ちはわかりますが文法的にNGですので、ここはあきらめて「たり」を使うか、あるいはいっそのこと「たり」を使わない表現に変えてしまいましょう。
「休日には本を読み映画を見る」
これで問題はありません。
後者の「例示」の場合というのは、1つだけ例を挙げればそれで用が足りる、そういう場合です。
「休日には好きな本を読んだりしたい」
「休日にはゆっくり寝たりしたい」
前提として、「休日にはのんびりしたいものだ」「休日は好きなことをして過ごしたいものだ」という共通認識があります。
さらに、休日の過ごし方を事細かに報告する目的の文でもないのです。
そこで、「休日だから、のんびりと過ごしたいですよね。好きな本を読みたいのです」
「休日ですから、目覚ましをつかわずにゆっくりと起き、昼寝をするのが大好きです」
そういうニュアンスであれば、問題にはならないでしょう。
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Bさん本人が一番驚いたであろう学校制度の違いをとりあげたのは良いと思います。具体的な体験談が一番好まれます。時間割が決まっていないことについて、一見不便に見えるが、実は合理的という説明の流れもわかりやすいです。
ESLの授業で英語を身に着けたのですね。
このように、自分の努力で英語を身に着けたという成功体験は高評価につながります。ただし、英語が身についた理由として、個人個人の能力に合わせた時間割のおかげだとするだけでは不十分です。おそらくBさんは、ESLのクラスで相当頑張ったのだと思います。その頑張りについて具体的に書くべきでした。あくまでも能動的に学習に向かう姿勢を見せたいところです。
例えば、学校のアメリカ人のクラスメイトに、自分から積極的に話しかけるように努力したとするのはどうでしょうか。または、地元のボランティア活動に積極的に参加することで、様々な年齢層・出自の人たちと交流し、英語力だけでなく幅広いコミュニケーション力が向上できたというのはどうでしょうか。
Bさん自身が英語を身に着けるために能動的に努力した例が話せればよいですね。
2.PEPについて
ESLは「English as a Second Language」の略語であることは知られていますので、そのまま使っても問題ありませんが、「PEP」はどうでしょうか? テストに合格した生徒だけが受けられる特別授業であることは書かれていますが、それ以外はわかりません。これでは不親切すぎますね。
PEPとは、「Project-based English Program」のことなのでしょうか? それとも他の略語なのでしょうか?
ここではあえて「PEP」という単語を使う必要はありませんでした。それよりも、せっかくアメリカの小学校ならではの授業なのですから、具体的な内容を書かなければいけません。
またBさんがこのPEPの授業をとても楽しみにしていたとありますが、なぜ楽しみだったのか、その理由も書いてください。
文章構成について
◆アメリカの小学校には時間割が無いことに驚いた
◆時間割がないことで、授業時間を調節できるから合理的である
◆個人個人の能力に合わせた授業があることに驚いた
◆英語が不得手な自分はESLで英語を学んだ
◆テスト合格者でけ受講できるPEPと言う授業が楽しみだった
◆結論・・・これから日本の学校の良いところも発見したい
最後に前向きなしめくくりは好印象を与えます。ただし、それまでの内容すべてが、アメリカの学校制度をほめることに費やされているため、これだけでは全体の印象を良くするのには不十分といえるでしょう。とくに、個人に合った時間割のシステムを持ち上げすぎることは、学校が決めた時間割に生徒が従う日本の教育制度を否定することにつながる印象を持たれてしまいます。
また、PEPテストに合格した人だけを特別扱いするやり方についても、日本の多くの学校教育のやり方とは違いますね。
せっかく良い所に気が付いたのですから、アメリカのそのやり方は、どのような利点を生み出しているのか、そこまで分析できると良かったと思います。
たとえば「ESL」について、英語を母語としない人のためのプログラムですが、どうしてアメリカの学校では「ESL」が存在するのか、そこまで書けるとよかったですね。
また、PEPについても、どうして全員が受講させてもらえないのか、そこまで踏み込んで書いてみましょう。
B様(お母さまへ)
2分間スピーチ原稿を拝見しました。具体例も入っており、良くまとまっています。しかしながら、とりあげたテーマと展開に問題があります。
生徒個人に合わせた時間割や特別授業のシステムをほめればほめるほど、日本の学校制度を否定することになってしまいます。日本の学校制度は、決められた時間割に生徒が合わせることが基本スタイルとなっており、私学といえどもそこは変わりません。OECDの調査によると、日本の学校教員の1週間あたりの仕事時間はOECD加盟国で最長であるにもかかわらず、授業にかける時間数は少ないことが浮き彫りになっています。このことは、生徒一人一人に向き合う時間がとれないことを意味しています。このあたりが、日本の私立中学受験熱の背景でもあります。
しかし、私立中高といえども、生徒一人一人に合わせた授業は行われていません。せいぜい数学や英語だけ能力別にクラスを分ける、文系と理系で科目を選択させる、その程度です。また一部の学校では、成績不振者への補講や、国公立・医学部を目指す生徒だけを対象とした授業も行われていますが、これも将来の大学入試に備えたプログラムにすぎません。中高6年間のその先にある大学入試も日米では全く異なります。
生徒全員に、一定水準の教育を実践することを目的とするのか、生徒一人一人の能力・個性を伸ばすことを目的とするのか、日米の教育観の違いが反映しています。
目的が異なれば、教育のやり方も異なるということですね。
Bさんの志望校の教育理念は、「生徒各人の幸せ・善きことは生徒各々の自由意思によって選択、実行、実現されるべきであり、教職員はそれを柔軟な姿勢で支援する」というものです。
それだけ見ると、アメリカスタイルの教育理念のように見えますが、実は違うのです。
「なんでもありの『自由至上主義(リバタリアリズム)』としてではなく、『自由』の前提に『公正さ(フェアネス)』を位置付ける『公正基底的リベラリズム』を重視する」と学校の方針が明らかになっています。
したがって、この学校では、一人一人に合わせた習熟度別授業を否定しています。集団としての成長を目標としてかかげているのです。
つまり、この学校は、学内のテストに合格した優秀な生徒だけのための特別授業のようなものを否定する立場であると考えられます。
以上を考えると、2分間スピーチで、アメリカの教育制度をほめすぎる(つまり日本の教育制度を否定する)ことはかなりのリスクをともないます。意地悪な面接官なら、「本校では習熟度別の授業はやっていません。君はアメリカの学校のほうが合うようですね。」と言いかねません。日米の教育制度の違いに注目した着眼点は良いですし、実体験を盛り込むことも良いですので、あとは、日本の教育制度の否定につながらないよう注意して、日米の教育制度の違いを乗り越えた体験をあくまでも自分の成長体験ととらえ、日本での学校生活の期待につながるようまとめるとよいでしょう。
また、注意していただきたい点がもう一点ございます。アメリカの教育制度を持ち上げすぎるのは日本の教育制度を否定することにつながりかねないため注意が必要だとは前述しましたが、逆に、アメリカの教育制度を否定することが望ましいということではありません。
過去に相談を受けた生徒の例をご紹介します。
アメリカで現地の小学校を卒業し、帰国生入試の制度を利用して日本の私立中高一貫校に進学した生徒が、そこでの中学校生活になじめず、高校からアメリカのボーディングスクールに進学を希望しました。しかしながら、入学を希望したボーディングスクールすべてから入学を断られてしまいました。その原因は、願書とともに提出した英文エッセイにあったのです。納得がいかないお母様から相談されて拝見した英文エッセイには、日本の教育制度に対する不満だけが、延々と書き連ねてありました。
自分の置かれた環境に不満しか抱かない生徒に成長は望めません。ボーディングスクール側が入学を許可しなかったのも当然だと考えられます。
お子様が、日米の教育の違いを肌で感じることができたのは得難い体験でした。どちらのやり方が優れている(劣っている)ということではなく、なぜそのような違いが生まれたのかを歴史的・文化的な背景について考えることができると良いですね。さらに、その違いを自分自身の努力でどう乗り越えてきたのか、その違いをどのように自分の糧としていくのか、そうした観点を持つことができればとても素晴らしいと思います。
学校のHP・入学案内から、学校の求める生徒像を把握する
帰国生入試では、作文・エッセイ・面接・プレゼン等で、学校に自分をアピールする場が設けられている場合がほとんどです。
その準備をするときには、学校が発信しているメッセージを読みとくことがとても大切です。
その学校がどんな教育理念でどんな生徒を育てようとしているのか。
このことをしっかり把握してから、面接・スピーチ等に臨んでください。
これは、「学校に媚びを売る」のとは違います。6年間(あるいは10年間)お世話になる学校です。学校が求めるものについて理解することはとても大切なことなのです。場合によっては、その過程において志望校から外れるかもしれません。
学校にとって最も嫌なのは、入学許可を出した後になって、「思っていたのとは違う」「こんな学校だとは思わなかった」と言われることなのです。
最初に学校の発信する情報をしっかり把握することから受験準備を始めましょう。
私の添削指導では、以下の点を重視しています。
◆伝わる文章であるかどうか
◆何を考え、何を書こうとするのか
あらゆる文章は、「他人に読んでもらう」ために書かれます。入試では、「出題者」「採点者」「学校」に向けて文章を書くのです。
そのためには、「伝わる文章」であることが大前提です。
何が書いてあるのかわからない文章では目的を達成できないからです。
「伝わる文章」にするために、文法・語彙力、そして文章構成が重要となるのです。
しかし、それだけでは十分ではありません。
「あなたは何を考え、何を書こうとしたのか」
これが最重要です。
添削指導例2を見てください。
文章としては良く書けています。一見すると問題は無さそうに思えます。
しかし、文章(スピーチ)を誰に向けて書くべきだったのか、その観点が抜けていたのです。
ここを忘れてしまうと、「ただ書いただけ」の、いわば魂の入らぬ仏像のようなものにしかならないのです。
私の添削指導では、ここにフォーカスした指導を行っています。